『日本海』思い出話2012年03月20日

朝は放射冷却になる程晴れていたのに、午後になって曇ったかと思ったら弱い雨になってしまいました。「春に三日の晴れなし」とはいいますが、それ以上に早い変化に驚いています。

寒くなってしまい、あまり実感出来なかった春分の日。今日も日勤でした。

以前小田急新宿駅で撮ったJR371系『あさぎり』です。「関東私鉄ストーリー」の中の1枚なんですが、結局これがボクにとって唯一の写真になってしまいました。

JR371系『あさぎり』

いっぽう小田急20000系RSEなんて写真すら撮っていなかったというスカタン。今になって後悔しても…。

ボクが子供の頃に乗せてもらった北陸線の夜行列車。当時は金沢や富山と大阪の間でも夜行列車が成り立っていたんです。
後に新潟-大阪間の寝台特急になった『つるぎ』も、この頃はまだ富山-大阪間の急行列車、今なら『サンダーバード』で金沢-大阪なんて2時間半ちょっとの距離ですが、まだ湖西線が出来てなかったとはいえ5~6時間かけてのんびり走っていたものです。
また電車急行の『立山』も1往復が夜行(下り3号、上り3号)、『きたぐに』も北陸線内も夜行としての有効時間帯で走ってました。

この3本共に乗ったことがあります。その中のどれかは記憶が定かではないんですが、ホームで列車を待っていると20系『日本海』が静々と深夜の金沢駅のホームに入ってきたんです。
生まれて初めて見るブルートレイン。流麗なその姿にしばし見とれたのを今でも覚えています。

父親と京都駅近くのホテルに泊まった時のコト。ちょうど部屋の窓から京都駅が見えたのです。これはラッキー。朝たまたま駅を眺めていたら米原区のEF58P牽引の20系『日本海』が駅に入って来ました。
ゴハチの牽くブルトレ…それは朝陽を受けひときわ美しく輝いてました。

ずっと前に東金沢駅のすぐ近くにボーリング場がありました。土曜の夜、伯父とボーリングを楽しんでいると、すっかり夜遅くなってしまい、帰る頃はちょうど青森行き『日本海』が通過する頃…。伯父にせがんで近くの踏切まで連れて行ってもらいました。
小雨の中を『日本海』は堂々20系13両編成でやってきました。ただしEF81にはヘッドマークがなく、ちょっとがっかりでした。この頃から全国的にブルートレインのヘッドマーク省略が進んだのです。

年末年始に『日本海51号』が増発されました。ピッカピカの新車14系座席車を見たくて金沢駅へ行ったものです。定期『日本海』と違い、青森発の列車が金沢に着くのは朝7時頃でした。ただカメラを持って行かなかったのです。撮っておけば貴重な記録になったものをと、今でも後悔しています。

前にも書きましたが、叔母と行った秋田からの帰りに、憧れの『日本海』に乗ることが出来ました。52cmのベッド幅も子供だったからか狭くは感じませんでした。羽越本線電化直前、秋田からのカマはDD51だったはず。

つまらぬ思い出話でスミマセン。やたら思いだす昔の『日本海』。